ゾンビランドサガLIVE フランシュシュみんなでおらぼう」ライブビューイング

3/17、「ゾンビランドサガLIVE フランシュシュみんなでおらぼう」ライブビューイングに参加してしてきました。

箇条書きで感想を書いておきます。

・久しぶりにライブに参加したら楽しかった。誰かが言っていたけど、合間合間に映像が流れる総集編劇場版みたいな構成だった。
・ライビュは初めてだったんですが、もっと音が大きかったら没入感があって良いかもしれない。
・映画館だけあってホスピタリティがよく、中座するのも楽なのでストレスフリーなのがよかった。

・「あにてれ」という月額登録制配信サイトでライブ夜の部のアーカイブが公開されているので興味があるかたは観るといいですよ。
https://ch.ani.tv/titles/914
・本編も各種配信サイトでも配信中です。ゾンサガもスパイダーバースと同じように「一人じゃないよ」「勇気を出そう」ということについて描いている傑作なんですよ。最終盤で無気力感(やる気が出ない)という大きな問題に取り組んでいるのが個人的に高ポイントでした。
 

ヒーローの苦悩と継承の物語──映画『スパイダーマン:スパイダーバース』

noteに書いた記事をトピックごとに分割して掲載します。

https://note.mu/facet31/n/ne5d574fc5585

 

はじめに

 あまりにも最高だったため一週間で二回も見に行ってしまった。正直もう一回くらいは見に行きたい。どう最高なのか。まず物語として、並行世界のスパイダーマンが出てくるお祭り映画の側面があり、それが少年の成長譚を軸にした継承の物語という本筋に分かちがたく結びついているところですね。日本版の予告編は後者に重きを置いてます。

https://youtu.be/rSfrXXthnuQ

 映像的にも、アメコミ調や実写調など異なる媒体の表現を横断しながら見たことのないような映像が洪水のように押し寄せてくる。ロゴの段階から飽きさせないという驚異の映画です。やばい。


あらすじ

 序盤のネタバレになりますがあらすじを書いておきます。

 これはマイルス・モラリス(吹替:小野賢章)というアフリカ系+ヒスパニック系の少年が、ピーター・パーカー亡き後のスパイダーマンとして独り立ちする物語だ。師匠になるはずだったピーターを目の前で亡くしてしまったマイルスは、既製品のコスプレスーツを身につけて、スパイダーマンのコミックを参考にしながら先代のようになるべく修行する。しかしお話の中のようには上手く行かずに落ち込んでいると、ピーター・B・パーカー(吹替:宮野真守)という、中年になって人生に不全感を抱いていてる並行世界のピーターと出会う。彼はマイルスの世界のピーターとは違って面倒見はよくないのだが、なんだかんだでスパイダーマンなので能力は確かであり、マイルスは彼とコンビを組み、先代のスパイダーマンと結んだ「約束」を果たそうとするのだが--。


ヒーローの孤独と苦悩

 マイルスが「自分らしさ」や「どうしたらスパイダーマンになれるのか」について迷っているのと同じように、並行世界のスパイダー(ウー)マンたちも悩みを抱えている。ピーター・B・パーカーは人生に挫折感を覚えていてヒーローであることに対してポジティブになれない。もうひとりの主要人物、並行世界のスパイダーウーマン:スパイダー・グウェン(吹替:悠木碧)はヒーローとしての苦悩を共有する仲間がいないことに孤独感を感じている。そんな彼ら・彼女らのヒーローゆえの苦悩も、マイルスのドラマと平行して解決されていく。これは見ようによってはマイルスがこの先でぶつかるであろう障害を一緒に描いているとも言えますね。

 

信じて、飛べ

 終盤、ピーターBがマイルスにかける言葉、「あとは勇気だけだ。信じて、飛べ。」というフレーズがこの映画を象徴している。コピーに使ってもいいくらいに良い。「信じて、飛ぶ」勇気をもっているのがヒーローだ。ピーター・B・パーカーはかつての自分を思い返しながら、いまの自分を鼓舞するようにこの言葉をマイルスに投げかけたのだと思う。誰を信じるのか? それは自分自身であり、同時にどこかで誰かのために闘っているヒーローという存在そのものだ。他の誰かを、自分自身を信じて飛べ。それが勇気であり、ヒーローの在り方なのだとこの映画は力強く訴えかけてくる。同時にこの映画がなぜこれほど高い品質で作られ、高度な試みに成功しているのか腑に落ちた気がする。これは、かつて勇気を出すことや信じることそのものを信じさせてくれたヒーローとその生みの親への恩返しとして、あるいはその意思を継承するという強い使命感をもって作られた作品なのではないか。いや、そうに違いないのである。

生きることに対する勇気をもてましたね、観ていて。

性依存症ラブコメ──津島隆太『セックス依存症になりました。』について。

noteに書いた記事をトピックごとに分割して掲載します。

https://note.mu/facet31/n/ne5d574fc5585

 

はじめに

本作は週刊プレnewsに連載されているweb漫画す。https://wpb.shueisha.co.jp/comic/2018/04/13/102935/

 以前話題になっていたときに1話だけ読んだ記憶があるんですが、そのときはまだ、この話がどういうものなのか分かっていませんでした。今回不意にタイムラインに流れてきた最新話(45話)を読んでから、これは依存症の治療記録をレポートしたエッセイ漫画に見えながらもっと広い間口で描こうとしているものだとわかり、そこから連載を読んでいる方の後押しもあって1話から最新話まで一気に読みました。初めに読むときは12話あたりまで一気に読むのがおすすめですね。

 一言でいうと「セックス依存症×ラブコメ」漫画です。「セックス依存症ブコメ」っていうのは自分で勝手にそう呼んでいるだけなんですが、「好きな異性と付き合いたいのに他の障害があってストレートには付き合えない」というラブコメの形式を踏襲しながら、物語上の障害を「セックス依存症」に代入して描いている作品なんですね。主人公は依存症によって未来を信じられた女性との関係を壊してしまうし、治療中なのに異性に手を出しそうになる。物語の最新話に近い話(後述する4のパート)では、セックス依存症同士の恋愛が描かれようとしてますが、お互いに相思相愛であっても性の欲望をコントロールしながらでなければ関係を続けられないという難しさが描かれている。著者が女性が好きなだけあってヒロインが可愛いということも主人公の欲望と葛藤を読者が追体験できるという意味では秀逸です。形式と内容が一致している。


構成

 大きく分けると以下のようになります。

1)心療内科受診編(1話~12話)

2)グループセラピー編(13話~27話)

3)自助グループ編その1(28話~39話)

4)自助グループ編その2(40話~現在)


それぞれを簡単に紹介しましょう。

(1)心療内科受診編

 物語は主人公・津島隆太が女性に暴行された状態で心療内科を受診し、セックス依存症と診断される場面から始まります。ここで衝撃的なのは性依存症のハードルの低さです。ずっと性について考えていたらすでに性依存症である、と言われており、他人事ではない気持ちになります。医師はカウンセリングによって津島にセックス依存症の「自覚」を促し、自分が暴行されても相手を悪く思えないことに自尊心の低さを指摘します。彼の場合、低い自尊心の原因は幼少期の虐待経験でした。そこでEDMRという催眠療法によって虐待経験を治療していくことになります。治療を数ヶ月続けていくと、津島自身も抑圧していた新たな虐待の記憶が蘇ります。激しいフラッシュバックと記憶の受容。ここで津島の治療は一つの区切りを迎えます。

(2)グループセラピー編

 ここでは、自分とは境遇の違う性依存症患者の集まる院内グループセラピーの様子が描かれます。そこには売春依存症の老婦人、露出依存症のギャル、痴漢依存症の男性、津島と同じくセックス依存症若い女性などがおり、初めは「こんなやつらとは違う」と抵抗感のあった津島も他の依存症患者たちの話を聴いていくうちに共感を抱きはじめ、心を開いていきます。

(3)自助グループ編その1

 津島はグループセラピーで出会った、津島と同じくセックス依存症の患者「グリーンさん」に誘われてセックス依存症自助グループに参加することになります。教会で行われる自助グループの集会は「神」や「祈り」などの言葉が出てくるため、当初津島は違和感を覚えながら通っていくことになります。しかしそんななかで、津島はSNSで出会った女性と付き合うことになったことが明かされます。その女性と付き合うきっかけも、津島から彼女を押し倒すという依存症の「耽溺」によるもので、彼はまたも依存症を繰り返してしてしまう瀬戸際までやってきます。「耽溺」による誘惑と理性のあいだで葛藤しながら、彼女に自分が依存症であることを打ち明けますが、拒絶されてしまいます。

 傷つき絶望した津島が自助グループでそのことを話すと、中心メンバー「セブンさん」から「神」を信じることを提案されます。セブンさんは信仰の対象は「神」でなくても「のら猫」でもいい、しかし神は「ブレない」し「負担も押しつけ放題」だから便利であり、「本当に精神がやられてしまいそうな人への救済装置」だ、と言います。(38話)

 無神論者で宗教についてのイメージもうさんくさいと思っていた津島ですが、いざ依存症の「悪魔のような誘惑」に晒されると、それに対抗するために信仰をプラグマティックに利用している自助グループの試みは合理的だったのだと気づきます。

(3)自助グループ編その2

 自助グループに新たに援助交際をしている女子高生が参加します。彼女は父親から性的虐待を受けながら他の家族のサポートも受けられず学校で孤立していたところ、売春によって親の世代の男から金を取ることで自尊心を満たしていました。表面上は自分から売春を望んでいるように振る舞っていますが、津島がストレートに意見すると人格の歪み(解離)が露わになり、彼女もまた無理をしていることが明らかになります。少女の姿は津島とグリーンさんの過去を思い起こさせつつ、まだ二人のように「底付き」(依存症によって社会的に破綻する経験)を迎えていないため楽観的に振る舞っていますが、いずれ迎えるであろう悲劇のことを考えると(少なくとも津島は)他人事ではない。そんなところで最新話は終わっています。


まとめ

この物語の要点は以下ですね。

・誤解されやすい依存症の実態をゼロから描いていること

・依存症はこわい

・最新の治療の案内になっていること

・それでいてルポ漫画ではなくエンタメとして読めるようになっていること

・依存症はこわい

興味があれば読んでみてくださいな。

2019年1月第2週目の近況報告

  • 近況報告

木曜から今まで高熱の出る風邪で倒れていたので何もできなかった。延々と寝ているのに治りきったとはいえないあたりに、この風邪の酷さが現れている。いまだにしんどい。

 

  • インプットの報告

上に書いた理由から映像の目標は未達成です。

本は移動中に読み上げて聴いていたのでそこそこ達成できました。今週読んでいたのは

・カール・イグレシアス・著+島内哲朗・訳「感情から書く脚本術」(フィルムアート社)

 

「感情」から書く脚本術  心を奪って釘づけにする物語の書き方

「感情」から書く脚本術 心を奪って釘づけにする物語の書き方

 

 

戸田山和久「恐怖の哲学」(NHK新書)

 

恐怖の哲学 ホラーで人間を読む (NHK出版新書)

恐怖の哲学 ホラーで人間を読む (NHK出版新書)

 

 

の二冊。

・「感情から書く脚本術」93%〜100%

・「恐怖の哲学」44%〜92%

合計58%読了も、目標の70%には届かず残念。

 

  • 感想

感想を書く余裕があまりない。とはいえせっかくなので少し書いてみよう。

どちらも半端に読んで放置していたんですが、ちゃんと読んでみると面白かった。

・「感情から〜」

この本は脚本の基本を押さえた中級・上級者向けの内容で、構成については少し触れるだけ、コンセプト作り、キャラクター、台詞上の駆け引きで観客(と下読み)の気を引くテクニックが書かれる。とりわけ面白いのが『羊たちの沈黙』の台詞分析ですね。人の秘密を食う魔人・レクター博士と主人公のFBI訓練生の女性が、ある容疑者の謎をめぐって駆け引きを行うんですが、レクターは容疑者に執着する主人公の秘密を暴こうとするんですね。このプロセスがえっちでした…。『羊たち〜』がこういう内容なの、早めに教えてくれ!と思いました。早めに見ます。

誰しも感情を動かされるためにエンタメを求めているところがあるので、具体的なテクニックが開陳されているこの本は、観る側としてエンタメに触れているだけでも面白く読めるはず。

余裕ができたらもう少し内容をまとめたい。

 

・「恐怖の哲学」

amazonの紹介文を読むとホラー映画を使った軽い哲学読み物なのかな〜というフワッとした印象を抱くと思いますが、そのような期待とは裏腹に読者はハードコアな意識と情動の哲学に誘われていくことになります。

この本はちくま新書で刊行された同著者の「哲学入門」の姉妹編というべき内容で、「哲学入門」を読んでいるとスムーズに理解できるかな、と思う箇所もありますが、ホラーという経験が題材になっているぶん、こちらのほうが取っ付きやすいと思う。

詳しい内容も書くべきなんですが、読了したらあらためて書きます。

一言だけ言っておくと、この本は科学哲学の自然主義(意識とか情報とか抽象的な概念を唯物論的に理解しようというプロジェクト)という分野の著作で、人間の意識や情動の「感じ」について科学知を動員しながら議論を組み立てていくので、「AI・ロボットの意識!とは!」みたいな議論が好きな人にはオススメです。まじで。読んでほしい。

逐一論点を潰していくので、少しダルく感じるかもしれないんですが、終盤で解説されている意識の表象理論というモデルが非常に好奇心をくすぐられます。意識の説明としてかなり納得できるものが出てきたな、という感想です。あとそう、この本の白眉は意識の表象理論を情動のシステムに応用したところにあるんだと思います。その議論もエレガントでいい。

 

本文中で参照されている表象理論の本(「ぼくらが原子の集まりなら〜」)や、

 


少し守備範囲の異なるデネットの「心の進化を解明する」もチェックしたいな〜と思った。

 

心の進化を解明する ―バクテリアからバッハへ―

心の進化を解明する ―バクテリアからバッハへ―

 

 

 

これは余談ですが、この本に志向的対象や「感じ」など現象学の語彙が出てくるので「ワードマップ  現代現象学」も取り寄せた。この本はかなり評判が良くて、他分野への応用例なども豊富で良い感じです。経験から論を組み立てていくので哲学の入門としてもいいと思う。

 

現象学というとフッサールハイデガーメルロ=ポンティ鷲田清一などフォロワーはたくさんいて魅力的な議論も多い。しかし同時に個々人のアクが強く、現象学概念の一般的な用例もよくわからない。概念の解説としては「縮刷版現象学事典」があるとはいえ、もう少し具体的な用法が知りたい、といったときにはこの本の出番、ということですね。

 

現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)

現代現象学―経験から始める哲学入門 (ワードマップ)

 

 

 

2019年1月第1週目の近況報告

・はじめに
今年から毎週土曜日の夜に、その週に見たもの・読んだものを書き出していこうと思う。他人の真似なんだけど、良いところは積極的に真似していくぞの姿勢でやっていきたい。

参考にさせていただいたのはこちら。(2019/1/5時点の最新記事)

・目標
目標は、週にそれぞれ
(1)映像を合計90分以上観ること
(2)小説or小説以外の本を合計280頁以上読むこと(電子書籍なら70%分)

としたい。

・内訳
映像であればアニメ三話分、映画一本分をワンセット。
本は、毎日40頁×7日で280頁をワンセット。
電子書籍ではどうなるだろうと思って調べてみた。
試しにダニエル・カーネマン(訳・村井章子)「ファスト&スロー」上巻をAmazonで調べると紙の本で370頁とある。手元のiPhonekindleで確認すると全体でNo.6898あるらしい。iPadも同じなので端末によって差はないみたい。
紙の本の1頁あたりが電子書籍だとNo.18.6分にあたるので、40頁だとNo.745分に相当する。745/6895*100=10.8で、全体の10.8%なので大体10%
毎日10%読むとして×7日で合計70%も読めれば上等ですね。

・今週の進捗と近況報告
今週はガタガタだったので無しです。
次回からやっていきます。

代官山蔦屋に辻村深月先生と冲方丁先生の対談を聴きに行ったよレポート(ほぼ全体書き起こし)

2018年9月11日19時から代官山蔦屋書店にて行われた、辻村深月先生と冲方丁先生のトークイベントに行ってきました。詳細は以下のリンクからどうぞ。

【イベント】代官山 蔦屋書店 文芸フェス2018 秋の陣 第二夜:辻村深月×冲方丁スペシャル対談! | 代官山 T-SITE http://real.tsite.jp/daikanyama/event/2018/08/post-633.html

知り合いにも参加できない方が多かったので、メモを元に書き起こしたものを残しておきます。記憶をもとに再構成しているので間違っている部分が多々あるかと思います。文責は私にありますので、「ここ間違っているぞ」とか「ここはマズいぞ」など何かご指摘がある際にはコメントか、twitterID@facet31宛にリプライなど飛ばしていただければ幸いです。


◾️はじめに
司会者の挨拶(蔦屋書店代官山店の文芸担当マムロさん。間違っていたらすみません)
今回でn回目の文芸フェス。(3度目?)辻村さんには毎年出ていただいています。
トークショーの相手はすべて辻村さんからのオファーで出演していただいています。
今回はなんと冲方丁さんというビックネームにお越しいただいています。
まずお二人の馴れ初めを聞きたいと思います。

辻村:「野性時代フロンティア文学賞」の選考委員をこの二人(辻村と冲方)と森見登美彦さんでやっています。選考委員をやるとだいたい「じゃあ始めましょう」といきなり解釈からはじまります。角川書店野性時代」の編集さんから、実際に選考する一年前から、次回から選考委員が変わるので選考委員同士で鼎談を、とオファーを受けて、そこで冲方さんと初めてお会いしました。

ーーお互いの第一印象は。

冲方:昼間のテレビ番組ですかこれ笑

辻村:冲方さんデビュー何年目でしたっけ? 冲方さんはデビューが早いので私は読者として入りました。
私の周りの男子たちが冲方丁が大好きすぎて!ウザいくらいに!
私が冲方さんにお会いした時にはすでに「時代小説の冲方丁」でもあったんですが、
冲方丁が大好きすぎるファンには、上から目線ですみませんが(それくらい好きだということで)、「俺たちの冲方丁」なんだという意識がすごくて。
冲方さんが『天地明察』で賞を取ったときに「俺たちの冲方丁」が時代小説を書いたらこのくらいだよ、と好きすぎるがゆえの上から目線で語られました笑
冲方さんとフロンティア賞で一緒に選考委員をやるといったときに出た反応が「羨ましい」とかじゃなくて、「ああ、俺たちの冲方丁がね」笑。
フロンティア賞選考委員就任時の鼎談のときに言ったのが「男子はみんな冲方丁が好きで、女子はみんな森見さんが好き」。そう言ったら冲方さんが森見さんを羨ましがっていた。

ーー冲方さんはどうですか?

冲方:選考のときに、辻村さんも森見さんもお土産を持ってくる。僕は手ぶらでくるのでなんて出来た人なのかと。

辻村:嬉しかったのが、あるとき、まだあまり出ていなかった高級ポップコーンを食べて感動して、私が選考のお土産にもっていったら、その後にあった受賞パーティで冲方さんに「あんな美味しいポップコーンをもらったら、なにを返したらいいのかわからない」といわれた。私が「そんなの攻殻機動隊のDVDでいいんですよ!」っていったら、次の機会にほんとにDVDを持ってきてくれた。いまベッドの下にありますよ! 関係者見本なので、見本と書かれているのがポイント高い。私の周りにいる「冲方丁が好きすぎてウザい男性」のひとりである夫がDVDの包装ビニールをバリバリと破っていた。

ーー冲方さんは、辻村さんに今回指名されてのご感想はいかがですか。

冲方:なんか嬉しいなあと思いました。作家さんと対談することってあまりないので、小説の話だったりこういうときにどうするのかってことを聴いてみたい。

ーー77年生まれの冲方さんが辻村さんの三つ上でいらっしゃいます。そして19歳でデビュー。冲方さんは若い頃どんな子どもだったんですか。10年間文章修行されてからデビューする方もいるとすると、相当早いですよね。読書少年だったんですか。

冲方:幼少期に住んでいたネパールの学校で、文学の授業があって、なんでも翻訳すればよいという課題があった。
何を思ったのかそこでガンダムを翻訳した。
大使館勤務の方の子どもがまだだれも持っていない日本のコンテンツを持っていたんですね。
そういうものを英語に訳してくれと言われて。ときどき変な質問が来るんですね。「ナウシカキリスト教徒なのか?」「アキラはファーストネームで、金田がラストネームなのはなぜか?」とか。飛び飛びで手に入るので、そのつど解釈をしていた。別の人に同じ質問をされて、いちいち説明するのが大変なので、課題を機に丸ごと書いた。
「ジオンはドイツ系だからプロテスタントなのか」とか質問される。

辻村:宗教と認識が結びついているんですね

冲方:宗教観が感情移入の幅を決めてしまうんですね。日本人が思うよりもずっと強く。
あと、娯楽が極端に少なかったので辞書を読んでいました。読書はあまりしなかった。どちらかというと外で遊んでいた。子供の頃の話を親に聞くと「ブレーキのない猿」だと表現された。

辻村:猿はもともとブレーキがないですよね笑

冲方:あるときデパートに行ったら突然悲鳴が聞こえて、声のする方に行ったら僕がタンスを階段状に開けて、そこを登って落ちたらしい。

辻村:世界を空間で把握してますね。立体で捉えないと階段にしない。

冲方:文芸を最初からやろうとは思っていなかったですね。読書少年でもなかったし。

ーー10代でデビューするメリットはありますか?

冲方:メリット……ありますか?

辻村:私は10代でデビューしたかったです。中学が人生で一番つらかった。振り返ってみると辛いことはない。友達もいるし。ただ、なにもなかったことが辛かった。自分が何者でもない。作家になりたい、小説が書きたいと欲求ばかりはあった。中学生って万能感がすごいから、突然誰か"違い"のわかる大人がやって来て、「君は才能があるからデビューしなよ」と言ってくれるような気になっていて、そういう万能感と自意識があった。中学生作家になりたかったし、高校生作家、大学生作家になりたかった。
※辻村さんのデビュー作は大学時代に書かれていたのものですが、メフィスト賞を受賞してデビューしたのは大学を卒業して就職したあと。

冲方:高校の時に入っていた同好会のテーマが「われわれは何で食っていくのか?」だったんです。高畑勲に手紙を出して、「アニメは儲かるんですか?」と聞いたり。
はじめは絵を描いていた。翻訳する必要がないもの(表現だけで伝えることができる)を選んだ。美術部の部長だったんですか、自分だけ絵が進んでいなかった。これから描くテーマに関しての文章をずっと書いていた。そこで挫折感を得た。自分が好きなものと得意なものが離れている。

辻村:小説に呼ばれていたんですね。

冲方:メリットはあるかというと、社会経験もスキルもないし、大人のいうことも信じられない。ゲーム業界に就職した。学校行きながら漫画原作もしていた。漫画原作をしていたのは父親が亡くなって学費を自分で稼がなければいけなかったので月給が欲しい。社会経験を積まなきゃダメだ、と思って。本屋に行って他の小説を読んで自作と比べていた。自作と比べると自分は圧倒的に足らないと思い、危機感と恐怖心でいっぱいだった。メリットとしては、ものすごくヘコむこと。

ーーヘコむことがメリット?デメリットではなく?

冲方:そこから上がっていくときの経験値を考えるとメリットです。デビュー直後は膝を屈して「もうだめだ……」と思うばかりだった。

辻村:えー!! 冲方さんそんな感じだったんですね。私「天才かよ〜〜」と思って『マルドゥック・スクランブル』読んでました。

冲方:『マルドゥック・スクランブル』なんて7社から断られてますから笑

ーー逆に年を経てデビューすることのメリットはあるんでしょうか

辻村:年を経てデビューされた方で思い出すのは、ミステリ作家の深木章子さん。弁護士を定年で辞められてから小説を書いた方で、10年前に好きだった本格ミステリが現代の技術で書かれている。そんなことをされると太刀打ちできない。『ミネルヴァの報復』が出たときに対談させていただいたのですが、そのとき私が言ったのは「深木さんのミステリには聖域がない」ということです。ふつうなら主人公は死なない、子供や女性は傷つかないといった「聖域」があるが、深木さんの小説では子供もひどい目にあう。そう言ったら深木さんは、現実の弁護士をやっていると現実には「聖域」がないことがわかると言われた。デビューしたのは遅くても言葉が自分の中にあるのだと思う。(歳を経て)その年代で書かれるからこその良さはある。

冲方:デビュー直後に編集者から「君はこれで勉強したまえ」と出されたのが隆慶一郎※さん。作家活動をされていた、たった五年間であれだけの作品を書いた。自分には厚みがないと打ちのめされた。自分の強みとか、密着している感情など、自分のカードを大事にするしかない。年を経てデビューした方は自分の強みを知っている。軽やかでもなく重々しくなく、整然としている。「だってこうでしょ。しょうがないじゃない」みたいな(説得力のある佇まいがある)。
隆慶一郎。作家。1923年生まれ。84年に61歳で小説家としてデビュー。それ以前は長く脚本家として活動していた。隆慶一郎名義の代表作に「一夢庵風流記」(後に原哲夫により漫画化される「花の慶次」の原作)、「影武者徳川家康」など。89年に急逝したため、小説家としての活動期間は五年ほど。

辻村:若い時に正しいと思って書いていた自分の考えが、変わることもあるってことを来年デビュー15年を目前にしてわかった。年を経てデビューした方は地層のように重ねてきてのブレなさがある。

ーーデビュー時から振り返って、自分が現在のような作家になっていると予想していましたか? 冲方さんはジャンル横断的で長さにも幅があります。小学生みたいな質問で恐縮ですが、「うぶかたせんせいはなんでこんなにいっぱい書けるんでしょう?」

辻村:今のはひらがなで書かれてましたね笑

冲方:句読点がなくて読みにくい笑

冲方:デビューしたときに計画を立てるわけです。自分には完成させた小説は書けない。小説には主題・物語・世界観・文体の要素がある。二年くらいで二個ずつクリアするとして、まず主題と世界観が書けたらいい、と思っていたら世界と主題をクリアするだけで10年かかってガッカリだなと。
それに、デビューした頃によく言われていた「活字離れ」というものを確かめるために四媒体を渡り歩いた。本当に活字から離れていたら作家なんてやってる場合じゃねえ!と思って。これもそうでないとわかるまで10年かかった。

辻村:すごい真面目ですね。体験派。

冲方:体験しないとわからないので。もっと早くに課題が片付くと思っていた。焦っています。

辻村:私が今回冲方さんをご指名したいと思ったのは、まず最初のフェスの時は司会のマミヤさんに道尾さんを指定され、その理由は「仲がいいだろうから」だった(このあたりうろ覚え)。次は誰がいいか、と要望を聞かれた時に『十二人の死にたい子どもたち』『かがみの孤城』が書店に並んでいた。アレ(『十二人の〜』)を書かれてしまったことで冲方さんに悔しい気持ちがあった。冲方さんはこれだけ色んなジャンルで書いていて…。私は自分がミステリが好きで書いていて、人が死ぬような話でなくてもミステリの筋肉を使って書いていると自負している。人が死んで謎を解くという本道のミステリに憧れがあって、書けなかった。そういう自分が読みたいミステリを冲方さんに書かれてしまった。もちろん面白かった。そのことをお会いしたときに伝えたら、「辻村さんに言われたら嫌な汗が出てきました」と言われた。冲方さんでもそんなことを言うのかと驚いた。
今回の冲方さんの新刊(『破蕾』)も夏休みに行くハワイで読みます、と周囲に行ったら「ビーチで官能小説読むの!?」と驚かれた。べつにビーチで読むわけじゃないんだけど…笑。官能小説なんだけど冲方さんの小説。物語に厚みがあって、江戸のことがよくわかる。「曳き廻し」ってこうなんだ!って笑

冲方:「曳き廻し」はああいう感じらしいですよ。調べるのは楽しかったですね。(『破蕾』は)ちゃちゃっと書けるなら気にしなかったんですけど、なにやっても書けなかった。「できない」っていうのが心を蝕む。誰かと話しているときに「でもお前書けないくせに」と言われているような気がしてしまう。弱点を潰したかったんですね。そこにあるテーマがあるはず。(官能小説なら)エロスとタナトスを描きたかった。そうでないと「時間がなくて〜」とか言い訳をしそうで嫌だった。

冲方:『十二人の〜』はSF大賞をとったときにアイディアを思いついたけど、そのときには掲示板しかなかった。背景の違う10代の子供が集まる手段がない。SNSが発達してきて実際にそういうことが起こり始めた。説得力が増してきたので書けた。

ーー辻村さんも本格ミステリの出版が控えています。デビュー作の『冷たい校舎の時は止まる』では同世代の集団、実写化もされた『ツナグ』では家族物など、多彩に書かれてます。作品を書くときはまずテーマありきなんでしょうか?それとも、例えば「本格を描きたい」という欲求と依頼が合ったときに書くのでしょうか。あるいは依頼が来てから、それに合わせた題材を考えるのでしょうか?

辻村:そのときどきによるんですけど、その版元さんのカラーを考え、編集者さんが喜んでくれそうなもの。『青空と逃げる』をやっているときに、編集さんに「どんな作品がやりたいか」と聞かれて「家族物はたくさんやったので次は婚活とか考えてるんですよね」といったら「……もう少し考えましょうか」と言われた。ああ、やりたくないんだ笑と感じた。次に週刊朝日の女性編集さんに「婚活がやりたい」と伝えたら「いいですね!」と乗り気になってくれた。伴走してくれる編集者が楽しんでくれるものがいい。

冲方:だいたいテーマとか、こういうものがやりたいというストックはつねにある。一時期修行をしないと、と思って、依頼で言われた通りのものを書けないと、と思って『もらい泣き』の連載をした。人を殺さず、一話完結で……手足を縛られるような気持ちになりながら書いた。やりきったら「おれできるな!」と思った。四年くらいやらされて苦しかった。それまでは編集者に依頼されても依頼されたものが出た試しがない。デビューしたてのときに「剣と魔法とかわいい少女」モノを150pで、と依頼された時に書いたのが2500pの長編。「かわいい少女とマスコットで〜」と依頼されて書いたのがマルドゥック。あれも50pの依頼だった。テーマを描くのが大事で、物語の枠組みとかどうでもいいと思っていた。枠に収まらない、人の言うことを効かない、自分が正しいと思うものしか出さない。だから依頼とそぐわないものしか書けなかった。

ーー文体修行について。文体はあえて作っているのか、そうではないのか。

辻村:私はあんまり意識していない。自然とそうなるように書いている。

冲方:意識するとギクシャクしちゃうから自然にしますよね。

辻村:デビューしたての小説を読んだら、そんなに頑張んなくていいのに、と思うくらい変に熟語を使ったり、難しい熟語を選んだり。最近はふつうに書けるようになった。小学生を書くときに「小学生はこんなこと言わないのでは」という議論があるが、「大人の私が小学生の教室に入っている」という意識でやってみたら気張らなくなった。でも『かがみの孤城』から婚活モノを書いたら(婚活モノのほうが?)「改行少な!」って思った。

冲方:文字ヅラってありますよね。

ーー新人の審査をすることについて。選考委員の難しさ。

辻村:フロンティア(野性時代フロンティア文学賞)はすごく楽しいです!綾辻さんとあったときに、乱歩賞でも選考委員をやらせていただいているので、「最近選考委員やっているよね」と言われて、「フロンティアはすごく楽しい」と伝えたら「だろうね、楽しそうだもん」と言われた。森見さんと冲方さんの読み方が違うんですね。三人とも推している作品が違う。ただよく聞いてみると似た印象は持っているんです。
選考中、度肝を抜かれたのが、冲方さんがいきなり「この作品には悪いところが三つあって……」と言って笑。褒めないんですね。あと、すごく楽しいのが、冲方さんは「この作品はこういう導入だから、こういう展開になるだろうと思ったんだけど……そうはならなかった」と評価することがあるんですが、その「こうなったら楽しい」という構想がめっちゃ面白いんですね。

冲方:辻村さんは審査員として正しいことを言う。「この作品は、いまこれを読みたい読者がいるはずだ」と読者を含めて評価する。僕はどうしても単体で完成度を高めたくなる。「こいつはあと5回くらい書き直したら面白くなるな」とか。

辻村:ほんとスパルタ!

冲方:こっちにおいで、と。こういうふうに叩くとこうなるぞ、と。実際に選考作を書いた人がそうするとは思わないんですが。作品を読む読者については「その人がどういう人生を送るかわからないからいいや」と突き放しちゃうところがある。

辻村:あと冲方さんは他の媒体でもお仕事してるからか、「この小説だとゲームの方が向いている」とか「この人はゲームライターになれるよね」とか言うんですね。

冲方:批判しているわけじゃないですよ笑

辻村:森見さんは「この小説はおれが守る」といってトイレに立てこもることがある。そうなると、「出てきてくれ!」「こんなことしてどうなるんだ!」と二人(辻村・冲方)がトイレのドアに向かって説得する。

森見さんは「二人がどうしてもわかってくれない!」と笑
それが評価の焦点になることがあります。「いまのは立てこもりポイントですか?」と森見さんに聞くと、森見さんが「すごくこれを推したいけど、立てこもるほどではない」と答える。笑

辻村:選考委員を務めてから、二年続けて大賞が出なかった。出ないときは審査している方もつらい。3人とも大賞を出したいが、何かに欠けているとか、以前大賞を出した人に比べるとどこか落ちるとか。意見が違っても二人は信頼できる。この中に書いている人がいたら他に回す前にこの発言を思い出してほしい。

ーー応募作の傾向はありますか?

辻村:ねらいが見えすぎてしまっているものがある。「これは頑張っている人に対する応援です」と概要に書いてあると、「あー…」と思う。狙いがあるんだあと思ってしまう。自分が小説を評価するポイントは、「いまこの作品を必要としている人がいるか」と「本人がやむにやまれぬ衝動で書いているか」の二つ。

冲方:そのひとが作品を書いた理由が伝わってくるといいですね。テクニックはあとからでもついてくるじゃないですか。「これを持ち続ければ30年やっていける」というエネルギーを作品に感じるとキター!と思う。
前に人に教えられなきゃいけない、と思ったことがあって、小説の書き方本を100冊くらいamazonで買ったことがある。なかにはひどいですよ。「こう書けばいい!ボーイミーツ」とか。穴埋め問題みたいになっている。でも、穴埋めをしている最中に他の穴も空けたくならないような人は、わざわざこんなつらい仕事しなくてもいい。追い込んじゃうくらい、「形にしたい」「形にしないとおれがおれでいられなくなる」という人じゃないと。それがあるかないか、で言うと、あまり(我を)見せてこない綺麗な感じのものが増えてきた。もっと荒っぽくていい。

辻村:自意識が見えているもののほうが可愛がれますね。

ーー以前登壇された宮内悠介さんの初代編集が、「ウェルメイドな作品じゃないと一次審査は通らない、しかしぶっとんでないと最終審査には至れない」と言っていた。宮内さんは最終狙いでぶっとんだものを書いていて一次で落とされ続けていた。綺麗/ぶっとんでいるは相反するのではないですか。

冲方:下読みをしている人もたくさん読んでますから、綺麗なものは上に上げやすい。どう判断していいのかわからないものは上げられにくいが、一旦上がっていくと、どう評価していいのかわからないからしぶとく残りますね。

ーー今までは選ぶ側としての質問でしたが、選ばれた側としての質問です。二人とも大変な賞ゲッターですが、いまだから開かせる賞の裏話などはありますか。

辻村:考えてこようと思って、質問を見たときにこれを言おうというのがあったはずなんですが…思い出せない。

冲方:裏話……。表からすれば全部裏話なんですがどれが面白いのか……。

ーー選ぶ側として本屋大賞が気になります。みなさん受賞スピーチでは特別な賞だといいますが、選ばれた側として本屋大賞はどんな感じなんですか。

冲方本屋大賞を取ったことでやっと自分を褒めていいと思った。作家と名刺に入れるようになった。

辻村:いい裏話じゃないですか!

冲方:作家ですと言った責任も引き受けようと思いましたね。何か言われたら作品で返すと。

辻村:冲方さんが本屋大賞とってみてどう思ったのかは私も気になっていて、質問しようかと思ってました。私は本屋大賞は縁がない賞だと思っていました。ノミネートは何回かされていたんですが。
直木賞を取ったあとに次にどんな作品を書いていこうかとおもう時期があった。直木賞のときは、編集者が待ち会をしてくれるんですね。その話を聞いたときには大の大人がプレッシャーに耐えるために集まるなんて…と思っていたんですが、当日になるとそばに誰かにいてほしいし、編集者も作家をひとりにするわけにはと集まってくれる。あれは今考えると青春だった。
そのあと、『島はぼくらと』で本屋大賞にノミネートしてもらって、一年やったことを見てくれる人がいるんだ、と思って励みになった。
本屋大賞は、全国の書店員さんという自分の力ではなんにもできないほどの数の人たちが推してくれる。実際に受賞したらこんなに嬉しい気持ちになるとは思わなかった。本屋大賞が好きなのは、各版元さんたちの営業さんたちの賞でもあること。受賞した社の営業さんたちは各社楽しそうにしている。本を売ることは集団作業。1位は別格で華やかだと思って、いつも見ていて別世界のことだと思っていた。でも、自分が壇上にあがってみると、いつも良くしてくれている書店員さんたちの顔があった。華やかに見えたのは近くにあるものだったんですね。

冲方:書店さんの存在が近くに感じますよね。

辻村:思い出した!本屋大賞って既に受賞した人たちがすごい優しいんです。三浦しをんさんとR-18文学賞(新潮社)で一緒に審査員をやらせていただいているんですが、本屋大賞の話を聞いた三浦さんが「すごい忙しくなるよ」と言ってくれた。三浦さんすごくお優しいので、わざわざメールで「忙しくなるって言ったけど、当時のスケジュール帳を見直したらライブに行きまくっていたからそうでもないかも」と笑
それもエネルギッシュな三浦さんらしいのですが笑
受賞式の際に裏で待っていたら、宮下奈都さんからです、とカードをもらった。「投函するとその日のうちに届く美味しいクロワッサン」の券もカードのなかに入っていた。湊かなえさんにもニューヨーク土産をもらった。今年は自分もプレゼンターになって優しくしたい。昨年までは話題になっている本があるとライバルとして捉えていた。今年は自分が花束を渡す番。

冲方:そういえば自分も湊さんに花束を渡されるときに大変なことになるよと言われました。

ーー冒頭で昼間のテレビみたいだと言われた手前、たいへん恐縮なのですが実写映画『天地明察』主演の岡田准一さんと宮崎あおいさんが結婚されたときになんと言われましたか。

冲方:ある新聞の記者に「おめでとうございます」と言われて「何言ってんだコイツ」と思った。そもそも家にテレビがないので知りようがない。
あっ!そういえば(岡田准一宮崎あおいは)夫婦役でしたよね。(ここで初めてピンときた冲方に会場笑)
おめでとうございます、とここにいないけどね。
岡田さんも真面目な方でね。現場にリュックサックいっぱいに本を持っていて、ホテルの部屋に帰ったらダンスの練習。そういう仕草を見ているとお幸せに…と思う。
幸せだよね?

ーー自作でメディアミックスしたいものは?

冲方:そんなの全部ですよね。

辻村:私はアニメ業界への憧れがすごくて、
ハケンアニメ!』という小説を書いて、各所に取材に行ったので、「これはもう本になったときに!」と期待していたら……笑。今日も待ってます!
アニメに対して憧れがあるんですよ。実写より、アニメになったら…!とデビューからずっときている。デビュー作の『冷たい校舎〜』が漫画化したときに「これは!」と思ったんですが…。

冲方:心の中ではメディアミックスは嬉しいんですけど、そう簡単には映像化できないぞ、という小説家としての自負があるので、ハードルでありたい。映像業界のために小説があるわけではないので。

ーーお互いについての質問。

辻村:二つできました。まずテレビがなくてどうやってアニメのチェックしているんですか?

冲方:放映時にチェックしてたら手おくれですから。順調なら3、4ヶ月前にチェック用の映像が届く。順調でないときは一週間前。そのためにパソコンを買ったくらい。60GBくらいのデータを落とさないといけない。脚本、絵コンテと何度も同じもの見てるので「あとはよろしく」と。そうしないと無報酬でいろいろやんないといけない。脚本料しかもらってないのに。

辻村:二つ目は集団でものを作ることについて。『ハケンアニメ!』の取材しているとアニメはなんて大変なんだと思った。その点個人の小説は楽。心構えの差について教えてください。

冲方:どのパートを請け負うか、責任の違いですよね。小説ならかかわるのは自分と担当編集と、3人4人。関わる人数が少ないと役割が明確になる。漫画もそうだけど、集団になるとできるやつが全部やらざるをえない。

辻村:できない人のことはどうしたらいいですか?

冲方:それは、うーん。ある時期が過ぎて「出来ない」ってことになると、崩壊する手前で食い止める。もう戦場ですよ。やれる人がやる。弾があるやつが撃つ。とくに日本の映像業界はお金と時間もない。だんだん役割分担されていく。自分がやらないと後ろにいる人たちに影響が出るというプレッシャーがある。
「自分にやりたいこと」と「他の人のやりたいこと」の折衷案。折衷案ほどつまらないものはないのでどうにかして押し切る。たいてい五分五分ですね。100点を目指してようやく50点が出せる。やりたいことの半分もできたら上出来。
ある人に任せようとしたら突然来れなくなったり、過労で亡くなっていたりしてスケジュールが崩壊する。小説は穴が開いても雑誌に穴が空くぐらい。ぐらいって言っちゃうダメだけど。アニメは穴が開いたら罰金三千万ですから。だから総集編とかでなんとか埋める。

辻村:えー!!!取材したけどそれは教えてくれなかった……。

冲方:一応あってはならないことだから言わなかったんじゃないですか

◾️冲方から辻村への質問

冲方:ざっくりとした質問をしてもいいですか?
どんな風に書いてます? たとえば朝起きて、どんな風にスイッチを入れるか。日常生活。どうやって1日の仕事を終わらせるか、ピリオドをつけているか。

辻村:私はものすごいちゃんとしたスイッチがあって、子供が二人いるんですけど、「保育園に行っている間」という明確なスイッチがある。あさ8時から夕方5時6時まで仕事する。打ち合わせもその時間のなかで済ませる。その時間になったら、どれだけ仕事のことが気になっても気にしないようにする。このサイクルにたどり着くまでに失敗があった。以前週刊誌の連載をやっているときに、編集者からすこしチェックしてもらえないかとFAXが送られてくることがあった。それで「すこしなら」と仕事をして、終わったと思ったら子供が裸でテレビみていた。ウワッーーー!!となって。夏場でよかった。こんなの絶対ダメだと思って、やらないと決めた。
私は子供と一緒に9時に寝るんですが、朝4時から子供を起こす7時まで何をしてもいい時間にしている。本を読んでもいいし、溜まっているアニメを見たり、仕事をしてもいい。司会のマムロさんは朝シフトなので、早朝に打ちあわせのメールした。(マムロさん、「そうそう、私は朝4時からここにいるんですよ」と応える)。編集者のみなさんは夜型なので、夜に仕事をしている編集者と一瞬邂逅する。辻村さんいつまで仕事しているんですか、と聞かれると「私はいま起きたところです」と。
私も前は夜型だったので、一つの表現で悩むと夜通し悩んでいた。いまは完全な完成形じゃないけどあれでいいや、と送ってしまう。完成版でなくても朝には編集者からのフィードバックが来るので、それを元に修正できるから以前のパターンのより良くなっている。
一方で、一気に書けないというもどかしさがあった。『かがみの孤城』の後半はほとんど書き下ろしなんですが、「今から〈みんなのことを助けに行く〉のに、おっ、お迎えにいくのか……」って笑
(会場笑)

冲方「なるほど、やっぱりタイムスケジュールは大事なんですね」

 

ーーそろそろ終わりに近づいて参りました。
講談社さんが下に設営にきていまして、おふたりのサイン本もご用意しています。
足早にご紹介したいと思います。
辻村先生の『噛み合わない会話と、ある過去について』は本が閉じたときが始まりです。
『破蕾』は、冲方さんの大江戸官能小説。人生のあらゆること、ふがいなさかなしさが官能によって乗り越えられていくさまを描いています。
辻村さんの『きのうの影踏み』はフレッシュな怪談小説。怪談はどこか読んだことがある気持ちにさせられるのですが、これはフレッシュに読めます。
冲方さんの『はなとゆめ』。これは枕草子を描いた清少納言の話です。日本初のエッセイとして知っている方も多いと思いますが、日本初の編集者が出てきます。この人のことが私は好きで、清少納言はこの人なしでもコツコツ文章を書けたのでしょうが、「読まれる喜び」を清少納言に教えたのがこの編集者の存在なんですね。

ーーおふたりの新刊の宣伝、今後の活動について。

◾️辻村告知
辻村:来年の3月に婚活小説が出る。初めはそうでもないんですが、だんだん婚活のことに入ります。タイトルが『傲慢と善良』。なんでこんな怖いタイトルにするんですか、といわれたんですが、私はジェイン・オースティンの『高慢と偏見』が好き。『高慢と偏見』には当時のイギリスの結婚のことについてこれでもかと書かれている。映画の時、男はプライドを捨てられない、女は偏見が捨てられないというコピーがつけられていた。それを読んで、納得した。現代において結婚できないのは傲慢さと善良さにある。なぜ善良さなのかは、本を読んでもらえればわかります笑

冲方:やっぱり怖いじゃん〜〜

辻村:映画にもなったツナグの2。yomyomにツナグ2の最終話。来年に本になります。

◾️冲方告知

冲方:何を言おうかと思ったらアレも言えないしコレも言えないし。マルドゥックアノニマスの4巻を来年2,3月くらいに出します。全三巻だと思われている。全然まだこれからいくぜー!って感じなのに、次で最終巻なのは残念ですが…と感想をもらった。四巻目が出ます。
年末に麒麟児が出て、オール読物で時代連作短編が来年頭くらいに。
言えないものがちょくちょくあるのでそのうち公式が発表すると思います。

 

〈書き起こし、以上〉

 

みちきんぐ「新妻編集月本(旧姓)さん」(単話)の感想

快楽天」2018.3月号掲載のみちきんぐ『新妻編集月本(旧姓)さん』をkomiflohttps://komiflo.com/)で読んだ。

これがめっっちゃえっちでよかったのと、技巧的にも素晴らしかったので感想を書いておく。
ツイッターで書こうとしたけど発売日なのでやめておいた。komifloはいいぞ。

あらすじは以下。
売れっ子エロ漫画家と結婚した編集者の月本さんは、夫が多忙なあまりご無沙汰な日々が続いていた。そこに同僚の女性編集者が月本さんの夫に「唾をつけてある」と吹き込み、奮起した彼女は夫をその気にさせるために夫の漫画に出てくる嗜虐的なヒロインに扮して……という内容。

■ヒロインの多面性が描かれているすごくいい作品

はじめに書いておくと、この漫画の良さは、ヒロインの「顔」(キャラ)が物語内で数度変わることにある。

(1)日常的な姿(地の顔)
(2)ドSな痴女を演じた姿(キャラの顔)
(3)痴女の演技が崩れつつプレイを続ける姿(キャラと地が混ざった状態)
(4)痴女の演技がなくなったことで本音が露呈した姿(キャラの仮面も日常の仮面も捨て、夫の妻になった状態)

上記のようにである。ありていに言えば夫に対して本音を言うことができない妻が、キャラクターの仮面をもちいることで本性を出し、ついには仮面も捨てて夫と気持ちをぶつけ合うに至る過程を描いている。

順に追っていこう。
まだ未読の諸氏は快楽天を読んで一息ついたあとにでも読んで気持ちを共有してほしい。

(1)登場時の月本さんはスタイルは良いが自分に自信のない女性として描かれている。
(2)だが、そんな彼女がシーンの移り変わりとともに扇情的なサディストヒロイン=『佐倉さん』として再登場する。"あの月本さん"を知っている読者たる私たちは扇情的な言動と格好に劣情を煽られてしまうのである。

(3)しかし月本さんによるサディストの演技は長続きせず、恥ずかしがりながら漫画に登場した痴女プレイ(足コキ)をするものの、すでに痴女の趣はなく地の顔が出てきてしまっている。

漫画の作者である夫がここで、
「『佐倉さん』ならここは嗜虐的に主の性器を虐める足コキシーンだが…」
「演じきれずに段々と…地の優しさが滲み出てきてしまっている…っ!」
と、月本さんの演技が不完全になっていることをモノローグで指摘するところが良い。

元ネタを参照することができない読者は、モノローグの情報と補足的に描かれる『佐倉さん』の姿から予想することでしか月本さんの演技の不完全さ(キャラとの間にある差異)を伺い知ることができない。「正反対ぶり」と「演技の不完全さ」が見えることが重要なのだ。月本さんが正反対のキャラクターを演じようとして破綻してしまっていることが描かれることで「新妻が頑張って夫を性的に振り向かせようとしている」本作の強みが存分に出ている。

「『佐倉さん』はこんなキャラではない…」「だがこれは…これは凄く——っ!」と夫は足コキで一度果てる。
(この直後、精をかけられた月本さんのお顔がとてもいい)

(4)そう、「『佐倉さん』はこんなキャラではない」のだ。

このあと、演技によって自分の気持ちを夫に気づかせることに成功した月本さんは地の状態のまま夫との和合を果たす。だがそこには初めにいた「地味な新妻」も「ドSな痴女」もおらず、キャラを演じることで自分の気持ちと快楽に正直になった「地の地の顔」になった月本さん——夫の妻としての彼女の顔がここで初めて現れるのである。
「佐倉さん」を演じるコードから外れた月本さんは、すでに「佐倉さん」ではないため「キャラ崩壊」している。加えて「エロ漫画ヒロインの佐倉さん」とともに「編集者としての月本さん」の仮面も捨てられ、彼女はついに「乱れている妻」になってしまったのである。これは大変なことだ。いかにもな痴女がエロいことを徹底するのではなく--それはそれでいいのだが--痴女の演技が途中で破綻することによって「優しい性格で恥ずかしがり屋のままなのにプレイは淫乱な妻」という、催眠モノにはない和姦トランスというべきシーンが描かれている。

■余談。『佐倉さん』は典型的な痴女キャラクターなので「キャラが薄い」。しかしこれが有名作のパロヒロインなどであればヒロインの印象を食ってしまうので、このバランスが素晴らしい。(顔や髪型はほぼ変えずに衣装と表情の違いで差別化しているのでヒロインのバリュエーションとして見られ、ヒロインに集中できる)

あとサブヒロインもめっちゃかわいい。ちゃんとえっちなシーンも用意されてるのがありがたい。夫婦が「本音」を伝え会った後にサブヒロインである同僚の「本音」が語られる構成も美しい。

■まとめ
本作は、ひとつのキャラクターのなかにさまざまな形で複数の顔が覗かせる様子を楽しむお話だ。これがすごく現実の女の子っぽくてよく、単話で描かれているところにも筆力を感じた。

現実の性交渉のみならず日常的なコミュニケーションのなかでも人間は(SMプレイ以外でも)演技的に振る舞うことがある。それがすべてロールプレイ(演技)なのかといえば一概にそうとは言えない。コミュニケーションが密になると、相手を喜ばせようとする演技的な顔(ネタ)と飾らない地の部分(ベタ)が入り混じった非日常的な顔が生まれることがある。そしてそういうときにこそ自他の輪郭が曖昧になるような強烈な快楽が生まれるように思う。みちきんぐ先生のめっちゃえっちな本作を読みながらそんなことを考えた。