パンツを脱いで関係をつくる

こんにちは。
じつは最近すこし元気がないのですが、こうして意気消沈しているときにはついつい己れの友達少なさを嘆いてしまいます(というと友人たちに怒られそうだけれど)。

こういうときに改めて思うのは、相談をもちかけられる友達は財産なんだな、ってことですね。すごく単純だけど人間関係の構築と維持を怠らないことがよりよく生きるための基本原則だと思います。心底そう思う。

では良い関係はどのように構築するのでしょうか。数は少ないものの良縁に恵まれてきた自分が友人から教わったことも含めて書いてみると、最も重要なことは自分のアイデンティティの核心にあたる欲望を上手くすくいとって楽しいと思えることに没頭することが基本なんですよね。

楽しいと思える気持ちや欲望に素直になるのが最も重要なのはモノやヒトのほとんどの関係は欲望や共感をノードに繋がっているから。

自分の領域(フェーズ)に合った人間関係を引き寄せることを目的とするなら、自分の欲望に正直になってパンツを脱ぎ、必要なら楽しげに踊ってみせるくらいのことが必要なんじゃないかと思う。

趣味が合わない人は引いて離れるだけだし、合う人なら一緒に全裸で踊ってくれる。周囲にそういう関係が見当たらず「最近つまんないなー」と思うときは内心に立ち返ることが原則だと思う。

「いま、お前はパンツを脱ぎきっているのか?」とね。

「つまんないなー」という言動をだだ漏れしていくと同じく「つまんないなー」と言っているような人間と簡単に繋がってしまうのが縁ですから、こわいですね。

あとはついでに書いておきますと、「物事と関係するイメージが巧く掴めない人間を不器用と呼ぶ」と僕は考えています。自分がぶきっちょなので実感を元に語りますが、まず衝動買いが多く秩序なくモノが増えていき、「これが魅力的に見えるには何と組み合わせたらいいのか?」という運用の視点もあまりないことが汚部屋系ぶきっちょさんたちの特徴だと思われます。

不必要なモノが増えていけばさらにイメージ(=価値観)が遠のいてしまうのに「整理」ができないんですよね。

そんなときは『人生がときめく 片づけの魔法』よろしく、快楽を基準にモノ(身の装飾)を捨ててしまうことが必要なんじゃないかと思います。

整理という行為は取捨選択のなかで自分のなかに埋れていた価値基準を再認知してあげるものです。なので次にその空白を埋めるモノは自分の理想形により合致するようになっているんじゃないか。

ヒトやモノの関係はもともと欲望で繋がっていますから価値観の見直しと基準をもとにした整理の重要性は共通するのではないでしょうか。

総括すると……

みな、パンツを、脱ぐのだ。

ヌグト、トモダチ、デキル、タノシイ