TVA血界戦線初回メモ:レオナルド・ウォッチは目を逸らさない

ハロー、どうもここは内藤泰弘原作TVA『血界戦線』にハマって原作を読破した後に第5話まで放映されたTVA版を延々とループしている世界線です。

今日は血界戦線の一話と五話を見返していたんですけれども、初回は主人公レオナルド・ウォッチの強さがぎゅっと詰まっていていいですね。レオが回想した「あの日」は「奇跡の連続だった」とモノローグで語られているけれど、じつは彼自身が数々の試練を乗り越え「希望」に近づく決定的な第一歩を踏み出した日なんですよね。それは単なる棚ぼた的な奇跡などではない、ということ。レオが勇気を出し「正しい選択」に踏みださなければその先の道は永遠に閉ざされていたはずです。

レオナルド・ウォッチは目を逸らさない
彼の強さがどのようなところに備わっているかというと、まずギフト(神々の義眼)や悲劇的な体験(あの日の後悔)を与えられても安易な悲劇物語とナルシシズムに還元しない自制心をもっていること。半神に襲われたときにレオが義眼をもっていなくともクラウスは彼を助けたでしょうが、その後にやってきた動機の告白によって精神性を認められなければライブラへの入社はありえなかったでしょう。仮に「能力のために妹を売った外道」だったとしたら……?と、考えるとザップに切り捨てられてジエンドです。

また彼が感性と理性の調和している人格の持ち主でなければ、堕落王の思惑を超えてダニを殺し/音速ザルを助けるという「正しい選択(=ライブラ的な倫理判断)」を下すことができなかったことでしょう。他者を思いやる感性がなければサルを殺してジエンド。そして神々の義眼を正確なタイミングで行使できる理性がなくてもジエンド。

こうしてみると彼の「選択」の一つ一つは一歩間違えればジ・エンド真っ逆さまな試練の連続だったと言えます。HLは条理の外にある都市で、ルールなきゆえに直接的に実存が問われてしまうので選択の失敗がすぐさま落命に繋がります。試練を見事に乗り越えたことが、秘密結社ライブラの一員として生き/HL(ヘルサレムズ・ロット)を生きる適格者であることの証明になっており、そして原作10巻初出のトータスナイト(viaミシェーラ)という称号の意味にも繋がっています。

だから彼の生は「奇跡」に運ばれたものでもあるし、同時に彼自身が現実を直視して選んだ運命なのですね。レオナルドの強さについてはアニメオリジナルのホワイト/絶望王のエピソードを通じて改めてスポットが当てられるのではないでしょうか。(10巻のオルタナティヴとして)

不条理の世界で生きるっていうこと。
HLは条理の外に置かれた(ルールのない)世界なので選択を誤った人間から簡単に命を落とします。レオの例でもわかるようにHLでは剥き出しの実存がつねに世界から試されているような不条理のエートスが渦巻いている。

この前提を念頭に13王の「堕落」や「偏執」「絶望」などの原初的な感情の名を冠した「より純粋な」存在があの世界ではいちばん力を持つのだ、と考えると説得力を感じます。ブラッドブリードなんて小さな神(純粋なもの/絶対者の端くれ/マレビト)でしょう。ライブラは無秩序状態で力を持て余している彼らのような存在を封じるためのルール(=倫理)の一線を護っているんですね。ライブラの面々が技名を叫んでから殴るのも真名を呼ぶことで「より純粋な」能力を引き出すための儀礼行為だと考えると整合性が取れたりします。力を得るためにかたや名を暴き、かたや名を隠す。

守護者も人の身である以上はルールの創造主にはなれない。とはいえ条理の底が抜けた都市において人間として尊重すべき倫理の一線を護ることはできる。クラウスの説く「希望」はこの延長にあり、彼の高潔な精神はその思想を体現しています。常識が効かない世界では個人の行動が「世界の均衡」に直結する場面がある。その瞬間に均衡を護ることができるのは、もはや何が正義なのか見極められない混沌のなかで、たった今下そうとしている決断を自分の正義だと信じて選択できる勇気をもつものだけです。レオがライブラに入ることを許された理由は「世界の均衡を護る」という組織のミッションを遂行するに足る能力と精神性を認められたから、というのは既に述べたとおりです。ひとつ付け加えるのなら、ここ一番で見せる肝っ玉が見かけによらず太いということでしょうか。彼の入社条件を検討してみるとこのように力強く責任を引き受ける「勇気」をもった人間の集合がライブラという組織である、と言うこともできますね。この主体の特徴はもしかしたら前作トライガンから続く内藤漫画スピリットなのかもしれません。