身体と魂のファンタズム──「アカーシャの舷窓」感想。

読み終えた!!!
こちらは前記事で感想を書いた「心造少女」の作者・妹尾ありかさんのC92新作で、同一世界観の短編集です。

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これは非常に重要なことですが、装丁が可愛いです。
ただし内容には対応していないため警戒が必要。

詳しくは後述しますが、前評判どおり第一編「海の蜻蛉、妖精の幻」が短編らしくシンプルに構成されていて読後の満足感が高い。他が悪いのではなく短編というジャンルを考えると突出して出来が良い、という感じ。

以下ネタバレ。

 

収録作は三篇。
「海の蜻蛉、妖精の幻」
「アカーシャの舷窓」
「ブルースフィア・サブマリンショウ」

 

・「海の蜻蛉、妖精の幻」
・あらすじ
 ホオズキヒイロは、軍事組織に所属せず社会生活に入ったはずの艦娘が所属施設から行方不明になる「神隠し」事件を追っていた。ホオズキによる潜入捜査も不発に終わり、彼女たちは復元管理区域に足を踏み入れることになる。そこは深海棲艦上陸や妖精炉の暴走によって被災し、妖精由来技術(微細粒子)による土地の復元が行われている場所だった。物騒な連中が身を潜めるなら絶好の場所である、と同時にホオズキにとってはどこか薄気味悪い感覚を覚える場所であった。ホオズキの予感は当たり、彼女の意識はいつの間にか幻想へと引きこまれてしまう……。

 ホオズキが復元管理区域で反芻する「ーーお前たちは陸の上では生きられない」という声は、提督による呪いの言葉だ。悪性変異した微細資源が見せる幻想のなかでホオズキは提督を思わせる海色機関支給のオイルライターを拾った直後、「彼」に襲われる。性的倒錯者であったことが伺える提督は彼女の体をつうじて心の内にまで浸入し、本人亡き後も亡霊のように彼女の心を縛っていた。精神の檻に囚われ失調する寸前、ホオズキヒイロに助けられる。失踪した艦娘たちは調査のためにこの地に踏み入れたときにホオズキが受けたような「呪い」によって正常さを失い、悪性変異した微細資源に取り込まれてしまったのである。妖精による「迷い家」の仕組みを看破した彼女らは最後に微細資源の制御を正常化してこの地を去る。

・感想
 妹尾さんの小説はファーストショット(掴み)がとても良い。潜入捜査からヒイロ登場、復元管理地域に至るまでのシークエンスが格好いいですね。潜入捜査のシーンにもインパクトがある。ホオズキは違法風俗の摘発のためにオーナーと寝るのだが、この行為にはどこか人工物としての自分を突き放して見ている感覚があり、この常人との「ズレ」が後々効いてくる。
 「心造少女」のときと同じく、今回も艦娘の名が伏せられたまま進行する。ホオズキが退役の折りに艦娘としての名を返上しているという事情もあるが、艦娘の名と個人の名を分ける試みが物語に効果的に出ている。このエピソードでは艦娘固有の呪術に関するイメージと、ホオズキが艦娘であった時の心の傷(=個人の特異性)を分けることで艦娘/少女の複雑な二重性を表現している。

 ホオズキヒイロの艦娘名は龍驤とあきつ丸。ともに呪術的なモチーフがあるためにこの話に起用されていたことが最後に明かされる。
 思うに、ヒイロの口から語られる「迷い家」から物を持ち帰った人物は幸福になるという伝承は、過去の呪縛と向き合ったホオズキを勇気づける言葉になっている。他の艦娘は呪いに抗うことができずに死んでしまった。固有名のあるヒトとしてではなく、匿名のモノとして去らねばならなかった。虐殺の悲劇性は虐殺があったことではなく、殺されたのが誰でもよかったこと、すなわち固有名が匿名(数値)になってしまうことにある、と東浩紀が処女論文「ソルジェニーツィン試論ーー確率の手触り」で書いていたことを頭の片隅で思い浮かべる。
 彼女たちとホオズキの違いはやはり、ホオズキが退役後もずっと戦ってきた事実にあるのだろう。社会の澱みや、そして自分自身と。最終的にはヒイロに助けられた格好になってはいるが、この場所でヒイロと共にいることもホオズキのギフトであり、彼女が戦ってきたことで得られたものだ。挫折を受けてなお負けないこと、それがヒトとして生きることであり、死に場所を自分で選ぶという固有名のあるヒトの尊厳=幸福にも関わってくる。


・表題作「アカーシャの舷窓」

・文庫裏のあらすじを引用する。
「とある実験の為構築された公海上の人工島と通信が断絶した。実態調査に派遣されたのは《妖精機関》の曙と皐月。彼らの標的は深海棲艦にあらず、《悪性変異》した艦娘の成れの果てである。(中略)凄惨かつ幻想的なサイコポエティックSF短編集。ーーこれは妖精が記述する、取るに足らない断章だ。」

・感想

 凄惨かつ幻想的なサイコポエティックSF。凄惨ってワードが紹介に書かれているの、初めて見た。
 それはともかく、表題作の「アカーシャの舷窓」は本文68頁(33頁~101頁)の短編だが、構想としては長~中編くらいのボリュームになっている。「心造少女」の冒頭で登場した曙と皐月が主人公になので前日譚といってもいいのかもしれない。「心造」では早々に退場してしまった曙+皐月と夕張+由良の詳細が語られる。曙+皐月に負けず劣らず夕張+由良はアツい。是百合。
 サイコポエティックなだけあって(?)お話はハード。初っぱなから悪性変異してしまった艦娘と戦うことになり、その艦娘の有様もグロテスクだ。描写が、というよりモノとしての艦娘のハードウェアがハッキングされている様子がグロテスクに映る。
 そしてさらにハードなのは、モノ扱いされているのが「敵」だけでなく妖精機関所属の曙と皐月も同じ境遇にいることだ。かつて使い捨ての駒にされて両目を失った皐月、非適性艦娘として生を受けたがゆえに屈辱と罪を背負った曙。彼女たちは失意のなかで選ぶ余地なき選択をし、強化(エンハンス)されている。彼女たちには多くの艦娘を統べる軍事組織である海色機関には敵対心があり、今回の調査でも結果的に巨大組織である海色機関の鼻を明かすようにごく少数で事件を解決することになる。より正確に言うと海色機関への敵対心よりも自分が艦娘、しかも不完全な艦娘であるということへの理不尽さを強く抱いている。
 終盤、アカーシャと曙が対面する場面で、「深海棲艦との終わらない戦争を引き延ばす。それが海色機関が求める適性(あるべき姿)」だというアカーシャに対して、曙が「だったら、最初から全部決められた(プログラム)通りに動くように造れッ!」と啖呵を切る。だがアカーシャは反論するのでなく、それに同意する。なぜなら彼女たちも曙と同じように解体処分を診断された非適性艦娘の集合体(成れの果て)だったからだ。
 アカーシャの目的は妖精式解析機関を乗っ取り、人間を支配することだった。それは人間への復讐であり、勝手な理由で自分たちを死の淵に追いやった人類に対する怨嗟だ。人類の守護者たりうる基準から零落した非適性・不適格者の集まりであるはずの妖精機関の艦娘・曙は、アカーシャのルサンチマンに同調しなかった。なぜか。それはかつての自分の姿がそこにあったからだ。
 曙はかつて解体を逃れるために提督に隷属を誓わされ、屈辱的な折檻を受けていた。だがそれは提督が曙の身を守るためについた嘘だった。提督に不正隠蔽を選択させたのは曙自身の弱さだった。そのために心が磨耗した提督は自ら死を選んだ。自分が生き延びることだけを考えていた弱さが、誰よりも自分の身を考えてくれていたひとを殺した。曙はその後、解体される間際に選択を強いられる。解体されるか、改造されて生き延びるか。生き延びたいがために提督を殺してしまった曙にとって、安易に死ぬことを選ぶことはできない。どんな苛烈な道が待っていようと、生きることが彼女の責任だった。あるものを選んだ以上、責任を取らなければ自分が自分でなくなってしまう。
 アカーシャのルサンチマンは他人に責任のすべてを背負わせる。その態度は、同じようにして他人を害してしまった曙にとって決して相容れなものだ。解体された艦娘の無念は存在するだろう。だがその責任を他者に押しつけようとすれば、何かを選択しながら生きていく主体も同時にいなくなってしまう。結果的に、アカーシャの目論見は他ならぬ妖精機関の手によって阻止される。
 アカーシャと比べて曙や皐月の清々しい態度には自由を感じる。それは妖精機関の艦娘たちが巨視的な人類や深海棲艦の存在とは離れたところで、自分たちが生きるために生きているからだろう。そこには、過去に向き合う意思はあれど大義のような大文字の責任や意志の観念は希薄だ。彼女たちはつむじ風のような一個の現象(あるいは妖精)として、人類の守護や深海棲艦の殲滅という大目的からスピンアウトし、個として世界と向き合っている。それは絶えず傷つくことになるしんどいポジションだが、そのような「中動態」*1的な在り方が自由さを感じさせるのかもしれない。

 ところで、やはりこのエピソードは(どこかでも言われていたように)長編向けの物語だと思う。そのためダイジェスト感があることは否めない。用語説明などがやや多めに感じるのも全体の尺が圧縮されているためだろう。ただ、器からあふれんばかりの熱情が込められた歪さこそを本作の美点としたい。


・「ブルースフィア・サブマリンショウ」
・簡単なあらすじ
 深海棲艦が現れて以来、長い間途絶していた大型旅客船の運行が行われた。旅客船内の娯楽演目「ブルースフィア・サブマリンショウ」を担当する潜水艦イムヤは恋人である船員の男性と体を重ねるうちに自らの退役(あがり)を意識するようになる。そんな折、妖精機関の響がイムヤの部屋を訪れる。彼女はある音源を探しており、イムヤは恋人がその音源を所持していることを告げた。

・感想
 これはフィニクスフヴォーストのスピンオフとして書かれているので見落としているところがあるかもしれないのだけど、それ以上に直情型の朝霜くんとクールビューティ響の凸凹百合が強烈で頭がやられてしまった。
 ところどころで出てくるイムヤの「胎が疼く」という表現もえっちだった。朝霜響の濡れ場が見たい。ラストで響がイムヤに好意を向けられてバリタチ女っぽくなっているのがとてもよくて、嗚呼、響はこういう運命の元に生まれてきた実質ネコの外見バリタチ女なんだろうなと思いつつ色々考えてしまう。
 退役=あがりの概念は橋本しのぶさんの艦これ二次創作「虚ろの海」シリーズくらいでしか知らないのだけど、そこそこ使われてるのかな。そうでもない気がするけど、直感的にわかりやすくて良い。
 本編は、短編らしくこの世界の広がりを感じられて良いと思った。海の安全をアピールするパフォーマンスとして旅客船を運営したり、艦娘が競技に従事する設定などは、妖精技術と並行して資本主義経済が回っていると自然に発生するものだと思う。また競技者として艦娘の地位が向上すると人権らしきものが立ち現れてくるのがおもしろい。その反面でアングラなサブマリンショウが行われていた過去があったことを匂わされたり、実際にイムヤが売られようとしているところを見ると混沌とした近未来の縮図を見ているようで情報量が多くてよい。
 キャラクターが自由に行動しているので好きなエピソードでした。響くんつよい。それにしても朝霜と響には並々ならぬ著者の愛情を感じます。


まとめ
 「心造少女」に引き続き上手いなあ、と思いながら読んでいたらサクッと読めてしまった。そして感想はだいぶ長くなってしまった。今作は前作FBを読んでから再読するとまた印象が変わると思うので、また帰ってきたい。

*1:中動態とは古代語に存在する言語態で、能動態と対立する態のこと。能動態は「主体の内から始まる行為が主体の外で完結する」行為である一方、中動態は「主体の内から始まる行為が主体の内で完結する」行為を指す。能動と受動では「する/される」でしか行為を記述できないが、國分功一郎『中動態の世界』のなかでは、それではカツアゲを説明できないと述べられている。カツアゲは加害者に脅された被害者が金を差し出す行為だが、外から見ると被害者が自分の意志で金を差し出しているように見えてしまう。これを中動態的に「主体の内から始まる行為が主体の内で完結する」状態すなわち「外からの影響を受けて主体の内側が変化する」モデルで考えると、カツアゲされたことで被害者は自らの意志と関係なく金を差し出す状態に変化してしまった、ということができる。「する/される」ではなく「ある」。現象が主体のなかに展開しているイメージ。ここでは特定の目的のために生まれたはずの艦娘が自身の望む・望まざる変化によって別の目的を見つけ生成変化していくプロセスと中動態を重ねている